About

「人はなぜ人形を作るのでしょうか? 」
中村人形は1917年の創業以来、ずっとこの問いの答えを探し求めてきました。
そして、ようやく「人形は人の祈りを形にしたもの」と言えるまで思考と作品作りを重ねてきました。
しかし、それはこの問いの答えではありません。
人の祈りがある限り、私たちは人形を作り続けます。
いつか問いの答えに辿り着くその日まで。
History




中村人形の沿革
- 明治30年(1897)
- 初代中村筑阿弥が博多の米相場師の中村喜久次郎の長男として生まれる。本名正雄。
- 明治41年(1908)
- 正雄が博多人形宗家中ノ子家の中ノ子市兵衛に入門。
- 大正6年(1917)
- 初代中村筑阿弥が独立し人形師となる。
- 大正10年(1921)
- 二代目衍涯が中村筑阿弥の長男として生まれる。本名博喜。
- 昭和11年(1936)
- 衍涯が小島与一門下の人形師高尾八十二に師事する
- 昭和16年(1941)
- 衍涯が人形師として独立。
- 昭和22年(1947)
- 初代中村筑阿弥が逝去(享年五十歳)
- 昭和24年(1949)
- 衍涯が福岡市主催博多人形展通商産業大臣賞初受賞
- 昭和32年(1957
- 三代目中村信喬が中村衍涯の長男として生まれる。本名信博。
- 昭和49年(1974)
- 衍涯が京都知恩院に法然上人像奉納。
- 昭和51年(1976)
- 衍涯が伝統工芸士認定、日本現代工芸美術展初入選。
- 昭和52年(1977)
- 衍涯が福岡県優秀技能者表彰。
- 昭和53年(1978)
- 衍涯が博多人形商工業協同組合理事長就任。
- 昭和54年(1979)
- 信喬が九州産業大学芸術学部美術学科彫刻専攻(木彫)卒業。京都にて衍涯の弟子宮崎隆の元で人形修行へ。
- 昭和56年(1981)
- 衍涯が伝統的工芸品産業功労者表彰。
- 昭和58年(1983)
- 衍涯が国卓越技能者表彰。
信喬が人形作家 林駒夫(重要無形文化財保持者)に入門師事。 - 昭和59年(1984)
- 衍涯が病に倒れ、信喬が京都から博多へ戻る。
- 昭和60年(1985)
- 衍涯が黄綬褒章。
- 昭和61年(1986)
- 四代目中村弘峰が中村信喬の次男として生まれる。
- 昭和63年(1988)
- 衍涯が福岡県指定無形文化財博多人形製作技術保持者認定。
- 平成4年(1992)
- 衍涯が逝去。(享年七十一歳)
- 平成11年(1999)
- 信喬が日本伝統工芸展高松宮記念賞受賞。
- 平成18年(2006)
- 信喬が福岡県文化賞受賞。(創造部門)
- 平成23年(2011)
- 信喬が伝統文化ポーラ賞優秀賞受賞。
弘峰が東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了し、信喬に師事。すぐに有田の柿右衛門窯と太宰府天満宮に丁稚奉公へ。 - 平成24年(2012)
- 弘峰が丁稚奉公を終え本格的に信喬の元で修行に入る。
- 平成25年(2013)
- 福岡市文化賞受賞。
- 令和3年(2021)
- 第68回日本伝統工芸展奨励賞受賞。
- 令和5年
- 弘峰が福岡県文化賞受賞。(奨励部門)